書肆アクセスと円周率の思い出

もうかれこれ、15年近く前の話になる。そのころ、私は大学生で、あるオタク系サークルに所属していた。

そのサークルは創作ガチ勢の巣窟であり、サークルの先輩にはアニメの情報サイトを運営していたり、コミケスタッフとして毎年参加されていたり、サークルとして即売会に出展している方が多数いた。先輩や後輩の中には、漫画家やアニメーターとして活躍することになる人もいた。会話上手で話題が豊富な方も多く、必然的に飲み会も開催される回数が多かった。

さて、とある飲み会で、コミケの話になった。話題は、参加者の男女比の話になり、男性よりも女性が多いよね、という話になり、そこから、男性参加者の比率がもっとも多いジャンルはどこかという話になった。

 

「男性向けR18ですか?」

「そこもなぁ…。買う側は多いけどなぁ。」

「鉄道・メカ・軍事、あと評論。男しかいない。」

「評論関係が面白くてさ、円周率本とか出してるところがあるのよ」

「なんですかそれ」

「一冊延々と、円周率が続いてるの。3.14から100万桁まで。」

「それ、なんで作ったんですか。」

「しらねぇ()

「価格が、314円でさ。円周率なのよ。500円玉、1000円札が飛び交う会場で、314円なのよ。」

「最近、O-157の本も出してたよ。O-157塩基配列がひたすら続いてるの。印刷できるかできないか、ぎりぎり小さな文字でさ。」

「何の役にも立たないの。だから、逆にみな買うんだよ。」

 

私は円周率本を無性に欲しくなった。

当時、スマホと呼ばれているものはなく、私が持っている携帯電話は、J-PHONEプリペイド式携帯電話である。家に帰って、自宅のデスクトップパソコン(確か、NECVALUESTAR NX)で売っている店舗を調べた。どうやら、都内のミニコミを扱っている書店にあるらしい。調べた結果、選択肢は三つあった。中野のタコシェ、新宿の模索舎、そして、神保町の書肆アクセスである。中野は遠いな、と思った。模索舎は近寄りたくないな、と思った。残ったのは、神保町の書肆アクセスである。

 当時、古書店の主な競合相手はBookoffであり、Amazonではなかった。神保町にはまだ古書店が多く集まっていた。私はしばしば、大学の参考書を購入しに行っており、慣れた場所だった。私は書肆アクセスへ探しにいくことにした。その店は、駿河台下交差点から神田すずらん通りに入って、少し進んで左手にあった。店内に入って、何気なく棚をみると無明舎出版の書籍が目に入ってきた。秋田の出版社だったっけと思った。店舗の奥から、初老の女性が声をかけてきた。

 

 「何かお探しですか?」

 「暗黒通信団の円周率の本ってないでしょうか?」

 「ないですね。時々、聞かれるお客さんはいらっしゃいますけど。」

 「一応、注文は入れておきますね。」

 

円周率本が購入できなかったので、店頭に置いてあった『O-157のすべて』を購入した。中身は、O-157塩基配列がひたすら続いていた。確かに「すべて」だ、嘘は言っていないと思った。

最近、円周率本の著者インタビューを読む機会があった。その中に、『それで3年とかくらいかけて300冊が売れて、それで僕としては「面白いことしたな」と満足して終わりにしていたんです。だけど、ずっと注文が来るんですよ。』とあった。おそらく、この中の1件は、書肆アクセス経由でした私の注文が含まれているのだろうと思う。

なお、円周率本は、秋葉原COMIC ZINにて2013年ごろに入手できた。そして、今に至るまで、確かに何の役にも立っていない。